詠みびとしらず
小説のようなものや短歌のようなもの、書道のようなものなどが書き散らしてあるブログです。

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2008年08月28日
  
2008年02月28日
しあはせの みのなるといふ おほきなき
もとはちひさな やさしさのたね


 曖昧すぎて、たぶん短歌としては微妙。
 でも善し悪しは別にして、個人的には気に入っている歌。
 他人から金や権利や、そういった何かを奪うことで幸せになれる。そんな風潮が少なからずあるように思う。でも本来、幸せというのは奪うものではなくて育むものなんじゃないかなぁ。他人に振りまいた優しさが積もり積もって、いつか幸せになって返ってくる。
 情けは人のためならず。


 綺麗(?)な話だけで終わるとなんともボクらしくないような気もするので、少し愚痴というか苦情というか、そういうものをひとつ。
 FC2のいいところは記事ごとにテーマを設定できることだと思う。そのおかげで、読みたいジャンルの小説ブログが探しやすくて助かっている。
 ただテーマのスレッドに報告表示されるのは新規投稿したときだけじゃなくて、過去の記事を編集して投稿したときも同様に報告がなされる。これはそもそもシステムの問題なんだと思うけど、そういうシステムであるから、一字もいじらずに編集したことにして再度投稿した場合(俗に言う空更新?)でもスレッドで新記事として表示されてしまう。
 このシステムの穴(?)をついて、自分のブログの宣伝をする人をたまに見受ける。ひとつのテーマで表示される記事の数はたった15。それなのに、その数少ない枠をひとりで埋めてしまう人がいる。ひとつひとつの記事が吟味された上で改稿したものであるならいい。だけど、おそらくそんなことはない。ひとつひとつの記事のタイムスタンプの間隔があまりにも短すぎるから。
 せっかく書いたものだし、みんなに読んでもらいたいっていう気持ちは同じ書く者としてよくわかる。でもそれは他のみんなも当然思うこと。
 限りある枠だから早く占領しないと!と思うんじゃなくて、限りある枠だからみんなで使っていこう、そういう思いやり持って、マナーを守ってもらえたらいいのになぁ。
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2008年02月26日
 休日、本を一冊携えて、近くのカフェに行った。
 そのカフェには本を読みに行く感覚でいる。自宅では何かと気が散ってなかなか進まないものだが、そのカフェは本を読む場所だと刷り込まれているせいか、集中して読むことができた。BGMも穏やかで、静かな雰囲気も気に入っている。
 オーダーしたカプチーノが手元に届き、わたしは読書に没頭することにした。二十ページくらい読み進めたところで、隣のテーブルに二人組みの女性が案内された。大学生だろうか。いかにもといった格好をしていた。二人は注文を済ませるとすぐに大きな声で話しはじめた。正確には片方が一方的にしゃべっていた。他の場所で聞けば、それほど大きな声ではなかったかもしれない。けれど、静かなこの店ではどうしても響いてしまっていた。
 窓際に座っている女性客が顔をしかめるのを目にした。よくここで見かける人だ。わたしと同じように本を読んでいることが多い。この日もそうで、カップを傾けると小さな溜め息を吐いて、また読書に戻っていった。わたしには残念なことに彼女ほどの集中力はなく、聞きたくもないのに、どうしても隣のテーブルで交されている会話が耳に入ってきてしまっていた。
 話題は非常にくだらない。のろけ話だ。付き合い始めたばかりのようでとにかくあれこれ話したいらしい。手を開いて指輪を見せたり、写真を見せているのか、ときおり携帯電話を開いては画面を相手に向けていた。聞く方は少しうんざりしていたようだが、語る方は夢中で、そのことに気付く様子はなかった。
 幸せだからなのか、本当は幸せではないからなのか。

 わたしはのろけたりしない。
 経験則上、わたしが「のろけ話」をしているとき、わたしは幸せを見失っている。幸せだからのろけるのではなく、「幸せそうね」といった言葉を求めて、のろけるのだ。幸福に酔いしれているときにはそんな確認は必要ない。他人の判断基準に照らさなくても幸せだから。幸福はただ彼とふたりで噛みしめる。

 隣の女性ののろけ話は終わりそうもなかった。わたしは温くなったカプチーノを一気に飲み干して、席を立った。去り際に「幸せそうね」と皮肉のひとつでも投げかけてやろうかと思ったけど、そんな皮肉が通用する相手には見えなかったので、わたしはそのままレジへ向かった。
 結局、予定していた量の半分も読むことはできなかった。

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2008年02月24日
 ボクは不思議な森の中を彷徨っていた。
 なぜ、この森に入り込んでしまったのか、いつからこの森の中を彷徨っているのか、それは当のボクにもわからなかった。

 この森の魚は空を飛ぶ。羽根も翼も持たぬ体で宙を泳ぐ。
 一匹の魚がボクの鼻先まで泳いできて、数秒、にらめっこをするように、ボクの顔をじっと見てから、ボクを置き去りにして泳ぎ去った。

 森には大きな沼がある。
 沼は濃灰色に澱んでいて、底は知れない。
 綺麗好きな兎が浴場として使っているのだけど、泥混じりの濁った沼の水だから、元は白かったその兎の毛も今は沈着して、鼠の毛のような色になっている。
 それでもその兎は気にせずに、本日三度目の水浴みをしていた。

 歩いて歩いて歩くと、空が見えるようになった。
 森の出口に差し掛かったところで、赤い洗面器を頭に乗せた男に遇った。
「どうしてそんなものを頭に乗せているの?」
 ボクがそう聞くと、彼は顔を洗面器に負けないくらい真っ赤にして怒り出した。
「どうして獣が人間の言葉をしゃべるんだ」
 ボクは答えることができず、そして言葉を失った。

 ボクは不思議な森の中に棲んでいる。

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2008年02月22日
 久々のデートから帰宅して、めかし込んだ服を脱いでいるとき、“初めて”の彼のことを想い出したことがあった。
 
 彼はわたしが高校二年生のときの人で、学年はひとつ上だった。顔は悪くない。むしろ良かったのだろう。わたしが彼に告白されたことを友人たちに打ち明けると、「振るなんてバチ当たりだ!」とでも言わんばかりの剣幕で、こぞってその彼と付き合うように勧めてきた。その押しに負けたこともあって、わたしは彼と付き合うことにした。本音を言えば、友人たちがうらやむ男と腕を組んで歩くのも悪くないかもしれないといった、さもしい考えもあった。
 とにかくそんな経緯で付き合い始めたものだから、彼に対して愛着こそ湧いても、愛情といったものはほとんど芽生えはしなかった。
 思春期真っ盛りの高校生だから、交際が続けば自然と体の関係がどうのといった問題に出くわす。彼の周りにもわたしの周りにも経験した人は数人いたが、焦っていたりはしなかった。だけど、どういうものなのだろうかという興味はあった。未知の痛みに対する怖いもの見たさのようなものだ。
 キスまでなら交した恋人はそれ以前にもいたし、このときの彼とも何度かしていた。が、いざそこから先となるとやはり怖かった。彼のものを突きつけられたとき、痛みに備えて怯えるよりも、心底好きではない相手を受け入れてしまうことをためらった。とりわけ自分を大切にしてきたわけではないけれど、初めては愛する人と、という夢は当然、見ていた。それなのに現実は本当に好きではない男の前で、流れに流され、足を開いてしまっている。わたしはこのままふしだらな女になってしまうんじゃないか。そんな自分に対する不信感や失望感に悩んでいた。
 だけど彼はわたしのそういった苦しみにはまるで気付かずに、土足で踏み込むようにわたしを貫いた。そういうものなのか、彼が下手だったからなのかはわからない。わたしは両目をきつく瞑り、眉間に皺を寄せて、彼が果てるのをただ待っていた。こめかみをひくつかせながら、彼の荒い吐息を耳元に聞いていた。

 それから三日ほどして、わたしは彼と別れた。
 服を脱がされ、丸裸になっても、行為の最中も行為の後も、結局、最後まで心は裸になれなかった。それで、この人はやっぱり違うなと気付いたのだ。
 幸い、わたしはふしだらな女にはならなかった。彼との経験があったからだと思っている。心まで裸になれなければ、あの行為は哀しさを呼ぶだけだと学んだのだ。

 どんなにおしゃれして着込んでも、気合いを入れてメイクをしても、本気で想う人の傍にいるとき、心は裸ですっぴんだ。
 そんなことを思った夜があった。

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2008年02月20日
 嫌いなCMがある。
 ドモホルンリンクルで有名な再春館製薬のCMだ。
 目障りな映像でも、耳障りなナレーションや音楽が入っているわけでもない。嫌いなタレントが出ているわけでもない。どちらかといえば地味なCMだ。だけど、地味な嫌悪感に襲われる。
 再春館製薬のコミュニケーターには「ここまでやればいい」というのはないそうだ。常に客のために何か出来ないか考えているらしい。素晴らしい社風だと思う。
 実際、腕を骨折した客のために、わざわざ安全性をチェックした上で片手でも開けやすいボトルに詰め替えて送ってあげたり、移動の多い人にクーラーボックスにいれて持ち運ぶように勧めたあとで、その回答でよかったのかと思い直し、断熱材でできた袋を送ってあげたりしたとCMでは言っている。
 売ったら売りっぱなしの企業が多い中、良くできた会社だと思う。しかし、そういう美談のようなものは受け手が巷間で口伝てに広めていくもので、自らが公共の電波に乗せて喧伝するものではないはずだ。再現映像なのかもしれないけれど、ボトルの安全性をチェックするシーンや断熱材バッグについて話し合っているシーンがあるのもいやらしい。
 商品の機能や性能の良い点は事実であればどれだけアピールしても構わないと思う。しかし、社としての美点、人としての美徳というものを自ら言い放つのはどうだろうか。せっかくの美しさが腐臭を発していて、どうも鼻について仕方がない。

 つまるところ、何が言いたかったかというと、僕ほど温厚で篤実な上、品行も方正であり謙虚な人間はいないのだけど、自分でそれをおおっぴらに言うわけにもいかないので、みんなにそれとなく広めてほしいなぁってこと(´・д・`)w

 それから、このこととは関係ないけれど、FC2プロフでプロフィール作りました。右上のWANTED!のところにある自画像から飛べます。浪費したい時間のある方はどうぞご覧ください(´・д・`)
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2008年02月18日
 客商売をやっていながら、これでいいのだろうかと自分でも思っていなくもないのだけど、「いらっしゃいませ」という決まり文句をほとんど使ったことがない。その代わりに「こんにちは」「こんばんは」と挨拶しているのにはそれなりに理由がある。
「いらっしゃいませ」という言葉、店先で客を呼び込むときに使うのならなんの不思議もない。しかし、来店した客に使うのはどうだろうか。本来なら「ようこそいらっしゃいました」というのがおそらく適切な形ではないだろうか。
 すでに料理を口に運んでいる人に向かって、「お味はいかが?」と聞きはしても「召し上がれ」とは言ったりしない。それと同じですでに店内に足を踏み入れている人に向かって、「いらっしゃいませ」というのはやっぱりおかしな気がする。
 そもそも半ばマニュアル化してしまっている「いらっしゃいませ」という文句が嫌いだ。「ようこそおいでくださいました」と微塵も思っていないのに、「いらっしゃいませ」と笑顔で出迎えるバイト、来店すると客の顔も見ていないのに山びこのごとく全店員が「いらっしゃいませ」と連呼する古本屋。どうも「いらっしゃいませ」という言葉にはいいイメージがない。
 そういうこともあって、僕は「こんにちは」「こんばんは」と言うことにしている。別に格式張った店でもないし、むしろお客さんとは友人のような関係でありたいと思っているから、「こんにちは」と出迎える。

 さて、ここまで書いておいて今さらながら、「ませ」という語句を辞書で調べてみた。
「挨拶(あいさつ)の語句に用いて、語調を丁寧にする。」とある。ただ、誤った形が広まってそのまま定着してしまったものらしい。

(2)挨拶(あいさつ)の語句に用いて、語調を丁寧にする。
「お帰りなさい〈ませ〉」
〔(2)は、元来、「よくお帰りなさいました」のような言い方の省略した形「お帰りなさい」を、命令の言い方と混同して、それに「ます」の命令形「ませ」を付けて、丁寧な気持ちを添えようとしたところからできたもの〕

 言葉は生ものだと思っているから、「いらっしゃいませ」というのは本来の意味からすれば正しくないと糾弾するつもりはない。ただでも、心のこもっていない「いらっしゃいませ」は正しい正しくない以前の問題だとは思う(´・д・`)

 今日は体調不良・・・。いつも以上にまとまらない。
 乱文、ご容赦くださいませ(´・д・`)
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2008年02月16日
 昨晩のことが忘れられず、メールをしたためています。

 そっと脱がせば、ちらりと覗けた白い肌。艶っぽい裸体を隠す全てが憎らしく、僕は引き千切るようにそれらを乱暴に剥いでいった。
 恐る恐る肉体に触れると柔らかく弾んで、僕の指先には拒まれたような感触が残った。その程よい弾力は僕にたまらない興奮をもたらし、今度は躊躇いもなく胸部を強く、それからくまなく全身をほぐしていった。触れた先には次第に、ぬめりのある液体と生臭い匂いが纏わりつき、口に運びねぶると塩の味がして、甘美に僕の脳髄を駆け抜けた。
「美味そうだ」
 半開きの口に虚ろな目をして横たわる姿に、思わずそう口をついて出たのは本能のせいだろうか。僕は生唾を呑み下してから、微塵の遠慮もせず思いっきり突き立てた。何度も、何度も、執拗にえぐるように――内臓にまで達するのではないかと思えるほどに。向きを変え、自らの欲望を満たすために求め続けた。

 昨晩食べた焼き魚は本当に美味しかったです。

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2008年02月14日
ひと欠片 粉一粒も 忘れずに
溶かして固めた ハートの形


 今日はバレンタインデーなる、商業主義に毒された忌まわしき日だ。チョコレートがもらえないから嘆いているわけではない。今は自分の店で生チョコをお茶菓子として出しているため、型を抜いたあとのチョコの残骸を毎夕食後に口にしている。チョコレートを食べるくらいならしょうゆゼリーをむさぼる!と豪語したくなるくらい、チョコはもう食べ飽きている。
 お客さんに「これはどこのお店のチョコ?」と聞かれたりもしたのだから、味は悪くないのだろう。今年はオレンジリキュールだけじゃなくて、アールグレイを煮出した牛乳を混ぜているから、それがいいのかもしれない。
 同時に「男にしとくのがもったいない」なんて言われた。いろんな人からたまに言われる言葉だ。正直、もし自分が女だったら・・・と考えたことはある。そしたら、ザ・たっちのひとりやふたりは簡単に落とせるくらいの女にはなってたんじゃないかと思う。残念だ(´・д・`)
 いや、別にチョコがもらえなくて負け惜しみを書いているわけじゃない。チョコなんて食い飽きてるんだから、もらえなくたってちっとも悔しくなんか・・・悔しいです!![┐`皿´┌]
ザブングルの人のつもり↑うん、まったく似てない(´・д・`)

 なんとなく、久々に自分のためにちゃんと紅茶をいれてみた(´・д・`)
生チョコ

ひとりでは愛された記憶さえ
儚くてむなしいだけ〜♪

EXILE "Lovers Again"より

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2008年02月12日
        一

 ある日の朝のことでございます。男は極楽をぶらりと散歩しておりました。それは成仏してからの男の日課でございました。池のほうからは蓮の花のなんともいえぬよい匂いが漂っており、男は鼻から目一杯息を吸い込んでは蓮の香りを堪能しておりました。そのとき、ふと遠目に蜘蛛の姿をとらえたのでございます。蜘蛛はなにやら翠玉色の葉の上で水面に向かって尻を振っておりました。その動作があまりに滑稽で、男はもっと傍で眺めたくなり、蓮の池へと足を向けたのでございます。
「おや、先生」池のほとりから眺めていたところ、男は蜘蛛にそう呼び掛けられたのです。「あんたにゃ、いつか礼を言わにゃならんと思っとったんだ」
 男には蜘蛛から感謝される覚えがございません。首を傾げていると、蜘蛛は野太く、ふふと不敵に笑い、また尻を振って、蓮の池の更に底へ底へと糸を垂らしたのでございます。

        二

 神田太一は地獄の底の血の池で、浮いては沈み、沈んでは浮かんでおりました。血に咽せかえり、もがいても、溺れ死ぬことはございません。なにせ、神田太一は既に死んでいるのです。未来永劫苦しみ続けることが、強盗であった神田太一に科せられた罰なのでございます。
 ところがあるとき、神田太一は漆黒の中空に銀色に煌めく一筋の何かを見つけたのでございます。それはするすると神田太一の元へ垂れて参りました。細い蜘蛛の糸でありましたが、神田太一は迷わず縋りつきました。溺れる者は藁をも掴むものでございましょう。ましてや、蜘蛛の糸でございますから、そのときの神田太一の喜びようといったらありません。
 神田太一は極楽へ向かって、蜘蛛の糸をたぐり始めました。細く頼りない蜘蛛の糸でございますから、しばらくすると肉体の疲労はもとより、思いの外に神経をすり減らし、神田太一はもうひとたぐりも上へのぼれなくなってしまいました。そこで仕方なく、神田太一は心許ない蜘蛛の糸の中途で小休止を取ることにいたしました。ふと眼下を見やると、血の池は遙か下、罪人たちに至っては蟻粒ほどの大きさでございます。その蟻粒ほどの罪人たちが何やら群がっておりました。神田太一がじっと目を凝らしてみますれば、なんと罪人たちは神田太一の後を追って、蜘蛛の糸をよじ昇ってきているではありませんか。
「こら、罪人ども。この蜘蛛の糸は俺のものだぞ」
 神田太一は生前、強盗仲間よりインテリと呼ばれ、それを誉れとしていた、学のある男でございますから、そのように喚いたりは致しません。今にも切れそうにきゅうきゅうと緊張した蜘蛛の糸を神田太一は再びたぐり始めたのでございます。火事場の馬鹿力と申しましょうか、それまでの疲れはどこかへ吹き飛んでいて、ただ黙々と一心不乱に手足体を持ち上げ、上へ上へと極楽を目指したのでございます。その甲斐もあって、頭上には白い蓮の根がいくつも見えるようになりました。蓮の葉の隙間からは煌びやかな光が漏れておりました。極楽はもうすぐそこでございます。

        三

 しばらくして、蜘蛛は尻から垂らした糸を後ろ脚で器用に巻き上げ始めたのでございます。糸にはたんまりと鈴生りに人間がぶらさがっておりました。その人間というのは地獄の罪人たちでございましょう。男はようやく蜘蛛にありがたがられる理由を知ったのです。
 地獄の罪人たちは燦々とした極楽の日差しを浴び、嬉々として目を細め、背丈の倍はあろうかという大蜘蛛の脚に縋り付いては「ありがとう。ありがとう」としきりに頭を下げておりました。中には感涙にむせいでおる者までございます。
 男は居たたまれなくなって、池を後にすることに致しました。とぼとぼと蓮の池から遠ざかりながら、過去にお釈迦様の垂らした蜘蛛の糸によって救われた罪人はいたのだろうかと考えておりました。いえ、以前に一度でもお釈迦様が蓮の池より蜘蛛の糸をお垂らしになられたことはあったのだろうかと考えておりました。男は蓮の池でお釈迦様にお目にかかったことは一度もございません。いったい、どれほどの罪人が中空より垂れ下がる蜘蛛の糸に希望を見いだしたことでございましょう。それは生前に自分が残したもののせいなのだろうか、それは自分の罪なのだろうか、男はそのようなことを考え、極楽には似つかわしくない溜息を漏らしたのでございます。
 先ほどから蓮の花の香りに混じって、なにやら芋粥のよい匂いが漂って参ります。そしてまた男はひとつ、悲痛な溜息を吐いたのでございます。 極楽ももう昼食時になったのでございましょう。

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2008年02月10日
 医者は幼児期の体験のせいだろうと言った。
 私は母親に虐待されて育った。虐待された子は親になると、今度は加虐する側に回る傾向にあると聞いたことがあった。後に、そういった虐待の連鎖は必至のことではなく、被虐待者のおよそ三割によって引き起こされる事象であると知った。
 三割という数字が多いとは思わなかったが、少ないとも思わなかった。例えば、五割であっても七割であっても、同様であっただろうし、一割と言われても、その認識は変わらなかっただろう。確率的な意味合いで三割なのだとしても、統計的な意味合いで三割なのだとしても、私にはいずれ我が子を虐待してしまうだろうという諦観めいたものがあった。
 心と体がちぐはぐなのだ。
 泣くと怒られるから辛くても笑顔でいた。均衡を取るように、楽しいときには、無意識の内に顔をしかめるようになっていた。たまに母は優しかった。優しくされると楽しくて幸せで心は浮かれた。が、笑おうとしても笑えず、意志に反して私の眉間にはしわが寄った。それを見た母は「せっかく遊んでやってるのに」と鬼のような形相で私を怒鳴りつけた。怒鳴られてやっと、私は笑えるようになるが、今度は私の笑みが癪に触ると、母は私を平手で打った。私が亀のようにうずくまっても、母は気が済むまで私の背中を叩き続け、私は笑顔のまま顔を伏せ、心は大声をあげて泣いていた。
 ちぐはぐに繋がれた感情の回路はそのまま定着してしまい、母親と離れて暮らすようになった今でも、私には天の邪鬼のような反応が出てしまう。頬を緩めて、悲しい映画を見る。目尻をつりあげてお笑い番組を見る。舌鼓は舌打ちのようになる。そんな自分に我が子をうまく愛せるとは到底思えなかった。

「本当に僕のこと、好き?」
 私と付き合う男は、何度目かのデートで必ずこう訊く。私には心臓を鷲掴みされたような苦しさがあるのに、私の顔からは笑みがこぼれてしまう。なのに、目の前で不安におののく彼に「ええ、好きよ」と返すときには笑みは消えて、眉根に力が入ってしまう。
「ならいいんだけど……。その、僕といるときの君はいつも楽しそうじゃないから」
 言いにくそうに、彼はうつむいた。
「テナンって知ってる?」
「え?」
「ギリシア神話に出てくる女性」
 彼は首を横に振った。
 テナンは、愛するときと憎むときの表情が同じだった。ピセアダイという若者が彼女に想いを寄せるが、彼女の表情に失望したピセアダイはテナンを殺してしまう。そこに神が現れ、テナンの胸を開いてみせた。それでようやく、ピセアダイは彼女の胸の中が彼への愛で詰まっていることを知ったのだ。テナンとはそんな物語の登場人物だ。
 彼は「それで?」とも「それが?」とも訊かず、湯気をくゆらせるカップに視線を落とし、私が語る悲しい神話を聞いていた。それから私は、自分がテナンのように愛するときに愛する表情ができないこと、それどころか楽しいとき、悲しいとき、嬉しいとき、ありとあらゆるときに正しい表情ができないこと、それらが母親の虐待によるものかもしれないことを伝えた。
 彼は何も言わなかった。
「面倒な女でしょ? 別れてあげようか? 私はあなたを笑って見送れるから」
 私は笑みを浮かべた。
 彼はおもむろに顔をあげ、私の目をまっすぐに見つめた。
「それでも君と一緒にいたい」
 私は眉間に力がこもるのを感じたが、彼はひるまなかった。
「君が好きなんだ」
「私もあなたが好き」
 私は彼を睨み付けていたことに気づき、慌てて言い換えた。
「あなたなんか嫌い」
 彼は一瞬、両目を大きくして驚いたが、私の意図をくみ取って、彼だけ笑った。
「無理に笑わなくていいよ」
「あなたが好き」
 左の目尻に滴を感じた。
 私の中の、何かが変わった。

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2008年02月08日
 目の前をカメが歩いていた。すぐに立ち止まり、花の匂いを嗅ぎ、鳥のさえずりに耳を傾けていた。のん気なものだと思う反面、うらやましいとも思った。そしてまた「なぜ、自分は走るのか」という疑問にぶつかった。

「こ、こんにちは」
 僕は勇気を出して声をかけた。突然話し掛けられ、カメは驚いていた。驚くのも無理はない。皆走ることに夢中で、他人に話しかけたりしないから。
「やあ、今日もいい天気だね」
 僕は空を見上げた。雲ひとつない。快晴だった。
「ああ、そうだね。気づかなかったよ」
 カメは笑みを浮かべていた。久々に自分に向けられた笑顔を見た。
「君は、どうして走らないんだい?」
「それじゃあ、どうして君は走るんだい?」
 カメは笑みを崩さない。
 僕はどうして走るのか?
「みんなが追いかけてくるからだよ、たぶん」
「それで、どこまで走ればいいんだい? あの山までかい?」

 僕はどこを目指して走っているんだろう。

「あの山まで走ると次はその先の湖まで走るんだ。その次は丘、川。ゴールだと思っていたところに辿りついても、足音がするとまた走り出してしまう」
 そうして、僕は走る意味も理由も失ったのだろう。
「君は不安にならないの? みんなが君を追い抜いて走り去っていく。取り残されることを怖いと思わないの?」
 正直、僕は怖い。
 カメは僕の質問には答えなかった。
「君、この花の香りを知っている? いい匂いがするんだよ」
 僕は首を横に振った。
「じゃあ、あの青い鳥の歌声を聴いたことは?」
 僕はまた首を横に振った。
「そういうことさ」
 カメは懐こく笑った。僕は意味がわからず、首を傾げた。
「はっきり言って怖いよ、取り残されることは。君は僕よりも長い距離を走ってきたはずだ。僕はせいぜい、この近所を知っているだけ。でも、君はこの花の匂いもあの鳥の歌声も知らない。僕はただ楽しんでいたいだけなんだ」
「そういうの、なんだかすばらしいね」
 僕は少し悲しくなった。
「生きてるって気がするよ」
 そう言って、カメは飛び立つ青い鳥に手を振った。

 僕はどうして走るのだろう。どうして走り出してしまったのだろう。

「そろそろ行かなくていいのかい?」
 足音が迫っていた。
 別れを告げ、僕はまた走り出した。けれど、五メートルも進まないうちに、僕の足は止まってしまった。
 振り向くと、カメは不思議そうに僕を見ていた。
「もういいんだ。いいんだよ」
 僕はカメに微笑んだ。
「この辺を案内してくれないかな? 花のこととか鳥のこととか、他にもいろいろ教えてよ」
 カメは顔をしわくちゃにして笑った。
「じゃあ、一緒に月を見よう? 今夜は満月だ。なんでも君のご先祖さまはあそこにいたらしい」
「ご先祖さまもずっと走っていたのかな?」
「ずっと餅をついていたんだって」
 カメは真顔でそう言った。僕は堪えきれずに吹き出した。生まれて初めて、声をあげて笑った。
「なんだかすっきりした」とつぶやくと、カメは相変わらず笑いながら言った。
「それはね、たぶん、君がヒトになったからだよ」

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2008年02月06日
「んー」
 ハンドルを握ったまま、彼が唇をわたしのほうへ突きだした。
 わたしはそれに応えるように、唇を迎え入れかけて、止めた。
「だめよ」
 わたしは彼の顔を手で押しのけた。
「なんでだよ? いいじゃんか」と彼の唇が尖る。
「だめなの」
 そう言って、わたしは彼に顔を背け、進行方向を見据えた。その拍子、向かいで信号待ちをしていた少女と目が合った。背負っているランドセルがまだまだ大きく見えて、あどけない。少女は気まずそうに、私から目を逸らして、うつむいた。
「ほら、青よ」
 わたしが言うと、ふくれていた彼は渋々アクセルを踏み、車を進めた。
 少女はわたしたちの乗っていた車が動き出したのを見て、初めて信号が変わっていたことに気付いたらしく、はっとしたように信号機に目をやったかと思うと、脱兎のごとく駆けていった。
 わたしはくすりと笑って、ハンドルを捌いている彼の頬に軽く口づけをした。
「あとでね」と告げると、ふくれていた彼の頬が緩んだ。

 車中でキスをする若い男女を見かけて、初めて「いやらしい」という言葉の本当の意味を知った。ちょうど、先ほどの少女と同じくらいの頃、小学三年生のときだ。
 エロいとかスケベとか、そんな低俗な言葉ではなくて、フルーツとフルーツが寄り添い合っているような感じの、それは「いやらしい」という言葉が似合う甘美なキスだった。テレビドラマや映画では当たり前のようにキスが溢れていたけれど、そのどれもがかなわないほどにいやらしいキスだった。
 信号待ちをしていたときのほんの一瞬、男が女のほうを向くと、女も男のほうを向いて、お互いが口を突きだした。合わさっていたのは一秒もなかったかもしれない。でもわたしにはもっと長く感じられて、男女が前を向き直っても、まだ口づけを交しているかのような錯覚に陥っていた。きっといやらしさにあたったんだろう。
 信号が青に変わって、男女の乗った車がわたしの横を過ぎ去っても、わたしはぼーっとしたままで、いつの間にか信号は赤になっていた。次に信号機が青を灯したときにようやく、わたしは正気に返って、歩きだすことができた。それでもあのいやらしさは一週間、わたしの頭から離れず、わたしの体に付きまとい、わたしは何も手につかない日々を送った。

 ひょっとしたら今もあのいやらしさにあたったままなのかもなぁ。ふとそんなことを思った。

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2008年02月04日
 土曜の夜11時過ぎの新ドラマ「ロス:タイム:ライフ」、似たような話を見たことがある、というか、アイデアそのままのものを見たことがある。それがなんだったのか思い出せず、気持ち悪い思いをしていたので、ネットで調べてみた。
 結果、ああ、そうか、「美女缶」というショートフィルムの特典映像に「ロス:タイム:ライフ」そのものが入っていたんだ、と納得。「美女缶」も「ロス:タイム:ライフ」も発想がいい。リアリティのない設定の中で、リアルな何かを描こうとしている作品は好きだ。
 ちなみに「美女缶」は原作のショートフィルムのものと、セルフリメイクの世にも奇妙な物語版がある。わかりやすいのは世にも奇妙な物語版。でも、個人的には原作のほうがせつなくて好き。
美女缶

 パッケージはこんなでも、残念ながら(?)エッチくない(´・д・`)w

 
 それはさておき、ブログランキングに登録したこともあって、他の人がブログに載せている小説を読む機会が増えた。でも最後まで読むことはほとんどない。
 面白くないからという理由ではなくて、(そういう観点からではボクは何も言えない)基本的な文章作法でさえ守っていないから。日記や詩であるなら、なにも言わない。詩のような形式で綴られている小説にも文句はない。でも普通の小説として載せているのであれば、最低限のフォーマットは守ってほしい。でないと違和感があって、気持ち悪くて。
 別に「……」とすべきところが「・・・・・・」になってる程度なら、うるさくは言わない。「!」や「?」のあとにスペースが置かれていなくても、気にはならない。だけどね、改行後の、つまり段落のはじめの一字下げくらいはしませんか?
 一字下げすらしていない人というのは小説を書きはしても、小説を読みはしないのだろうなと思ってしまう。(普段から小説を読むが、書くときは細かなルールに囚われない、新しい表現方法を模索しているのだという人がいたら、申し訳ない)書いている最中、ボクはいろんなことが気になる。気になるたびに読みかけの本を開いてみたりする。わからないことがあるとき、参考にするならやっぱり、出版までされている「完成品」がいいと思う。
 自分の書いた小説を誰かに読んでもらいたいと思うなら、そのくらいはするのが読者に対する礼儀なんじゃないだろうか。
 読んだら書けとは思わないけど、書くなら読めと言いたい。
 プロの小説を読んでいたら、一字下げしていない小説の不自然さが気になって仕方がなくなるから(´・д・`)

 あと、書き終わったあとに、ノベルチェッカーで小説作法を守れているか確認してみるのもいいと思う。称賛してもらえるしw にほんブログ村 小説ブログへ
 まぁ、なんていうか、偉そうなことを言ってすみません(´・д・`)
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2008年02月02日
 あのな、俺、この前、天使を見たんだ。
 マジだって! そりゃね、俺だって、誰かがそんなこと言い出したら、頭がおかしいんじゃねーのって思うさ、でも、この目で実際に見たんだって。二度も。だから、間違いないの。
 どんな姿だったかって?
 よく絵で見る格好、あのまんまさ。白い翼に白い服で頭の上に輪があって。
 だから、夢じゃないって! ちゃんと話だってしたんだぜ。
 天使が俺に言ったんだ。
「あなたはいい人だから、願い事をひとつだけ聞いてあげましょう」って。
 嘘っぽいってなぁ、しょうがないだろ? ホントにそう言ったんだから。
 なんで、お前のところには来ないのかって? さぁ、それはお前が俺ほどいい人じゃないからじゃないの? ……冗談だって。お前がいい人だってことは俺が一番知ってるって。きっと、そのうちに現われるさ。
 つーか、お前、信じてないだろ……? いいけどさ。
 とにかく、俺は天使に願い事を叶えてもらえるようになったわけ。
 だけどな、いきなり、願いは何だって言われても答えられるわけないじゃん。迷うっつーか、思い浮かばないっつーか。だから、俺言ったの。「少し考えさせてくれ」ってね。そしたら、天使は「一週間後にまた来ることにしましょう」って残して消えたんだ。
 それから、俺は一週間、必死に考えたさ。たったひとつだけの願い事だからな。でも、なかなか思い浮かばないもんなのよ。
 最初はやっぱ、金かなって思ったんだけどさ、自分で稼いでもないのにそれで裕福な生活を送って気取るのって、なんかカッコ悪いじゃん? 車とか家とかも今の身分っつーか、地位っつーか、そういうのに見合わなかったら滑稽だしな。
 じゃあ、地位とか身分とかが欲しいと思っても、実力がなかったら、馬鹿にされて疎まれるだけだしさ。かといって、実力をもらっても、それって実力ってのとはちょっと違うような気がするし、やっぱ、実力って自分で身につけるものだろ?
 でね、今度はとびっきりの女と付き合いたいってのを考えたわけ。おい、怒んなよ。結局、そんな願い事はしてないからさ。俺、お前で結構満足してるんだよね。だからさ……なんだよ、照れるなよ。こっちまで恥ずかしくなってくるだろ。でね、お前との結婚とかも考えたんだけど、わざわざ天使にお願いしなくてもそのうちするじゃん? 俺はそのつもりだし。
 それでね、健康が欲しいかなって思ったんだけどさ、健康過ぎて、病気にならなくて、お前が先に死んじゃって、それでも、病気にならなくて、なかなか死なないのも辛いからさ。
 で、悩んで悩んで、「幸せをくれ」って頼むことにしたんだ。
 え? じゃあ、今、幸せなのかって? まぁ、幸せ。だけどな、その幸せって天使にもらったものじゃないんだぜ。
 あれから一週間後にまた天使が現われてさ、俺、「幸せをくれ」って言ったんだ。そしたら、天使はなんて言ったと思う?
「その願いを聞くことはできません。あなたの願い事はすでに聞きとげました」だと。
 当然、訳わかんないから訊きかえすじゃん。そしたら、やっぱり、俺、言ってたんだな。「少し考えさせてくれ」って。それ聞いたとき、俺、笑っちゃったよ。もう転げまわってさ。でもな、俺、気づいたんだ。天使にそんな願い事聞いてもらわなくても、俺は幸せなんだなって。だって、特に願い事がないってのは満たされてるって証拠だろ? それに、たったひとつの聞いてもらえた願い事が「少し考えさせてくれ」になっちゃっても、後悔したり、むかついたりしなかったし。だから、俺、たぶん、今、それなりに幸せなんだよ。庶民的かもしんないけどさ。 にほんブログ村 小説ブログへ
 なぁ、お前だったら、何を願った?

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