詠みびとしらず
小説のようなものや短歌のようなもの、書道のようなものなどが書き散らしてあるブログです。

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2008年08月28日
  
2008年06月12日
「その度に心臓を握りつぶされたような苦しさを私は覚える。」
 という表現はおかしいんだろうか。
 胸を締め付けられるような切なさよりももっと切ないものを表現したかったんだが。
 
 確かに心臓を握りつぶされたことがある人間なんていない。その苦しさがどんなのものか実際にはわからない。言いたいことはわかるけど、そんなに変?
「その度に、心臓を握りつぶされたような、それはまるで夢の中の出来事のようで有り得ない苦しさを私は覚える。」という修正案のほうがおかしくない?
「心臓を握りつぶされたような」という表現の中には「有り得ない苦しさ」っていうニュアンスは含まれてない? 言葉を連ねたことでかえってぼやけてしまったように聞こえるんだけど、ボクの感覚がおかしいのかなぁ。

 そもそも、「胸を締め付けられたような」という表現だって似たようなものなんじゃないか。物理的に胸を締め付けられた経験のある人ってそんなにいないでしょ? あ、胸囲を測るとき? いや、あれ締め付けてなかったと思うし。うん、まぁいいや。


 禁止ワードにURLを加えてもきりがないので、コメント時に画像認証を用いることにしました。コメントくださる方にはお手数をかけることになりますが、ご理解ください。
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2008年04月22日
 脳というのは嘘吐きな器官で、見間違いや聞き間違いというレベルでの幻覚や錯覚は日常茶飯のことであるのだけれど、はたしてこれは脳味噌の吐いた嘘なのだろうかと、このところずっと悩んでいることがある。

 トヨタの製品にヴィッツという自動車がある。ヴィッツの名は普段テレビを見る人であれば、テレビCMなどで何度も耳にしたことがあると思う。ボクの悩みというのはまさにそのテレビCMが関係している。

 ついこの間まであのCMに出演しているのはオセロの中島知子だと思っていた。いや確かに中島知子だったのだ。「ちょっと気分転換」と車に乗り込み、助手席のリラックマに「ひとりじゃ危ない? こんなに安心な場所もないでしょ」と語りかける、そのときの声の感じも中島知子に違いなかった。それがいつの間にか、気づけば、中島知子から後藤久美子に代わっていた。トヨタのサイトで確認してみても、出演者は後藤久美子だと書いてある。ボクが見間違い、聞き間違えただけなのか? 一度や二度ではなく、何度も? そんなバカな。にわかには信じがたい。トヨタが仕組んだドッキリなのか、それともボクの脳が正常に働いていないからなのか、よくわからない。
 最近、テレビで中島知子を目にするのが、少し怖い。
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2008年04月01日
 あるクレタ人が「クレタ人は皆、嘘つきである」と言った。

 クレタ人である彼の言葉は本当なのか嘘なのか。
 彼が嘘つきではないとすると、「クレタ人は皆、嘘つきである」と言い切る彼は何人なのかということになってしまう。では彼が嘘つきであったとしたら、「クレタ人は皆、嘘つきである」というのも嘘で、とすると本当は「クレタ人は皆、嘘つきではない」ということになって、彼の言うことは正しくて、やっぱり「クレタ人は皆、嘘つきである」ということになって……という迷宮に入り込んでしまう。
 しかし一見、矛盾してそうなこの一文、実は何の矛盾も孕んではいない。彼が嘘つきであれば、彼の言葉に"not"を挟めば真実になる。問題は「クレタ人は皆、嘘つきである」という言葉のどこに"not"を入れるかということだ。後半の「嘘つきである」という部分に入れてしまうと、「クレタ人は皆、嘘つきではない」ことになってしまい、彼は嘘をつけなくなってしまう。が、前半の「クレタ人は皆」という部分に入れると「皆ではないクレタ人は、嘘つきである」となる。つまり「一部のクレタ人は、嘘つきである」というのが真実で、彼の嘘はきちんと嘘になっている。

 さてこの勢いに乗って、「鶏が先か、卵が先か」という矛盾にも解法を見つけたい。
 鶏は卵から孵るのだから卵が先に存在しなければならない。しかし卵は鶏によって産み落とされるものであるからまず鶏が先に存在していなければならない。その鶏は卵から……というのがご存知のように「鶏が先か、卵が先か」という論争だ。
 ただこの論争は肝心なことを忘れてしまっているような気がする。どうして鶏か卵のどちらかが先に存在したと決め付けてしまっているのか。最初の鶏か卵が存在したのは遠い昔なのだ。哺乳類でありながら卵から孵るカモノハシのように、過去には鶏でありながら卵でもあった、そんな生物が存在していたって不思議ではないというのに。
 ボクは知っている。過去には確かにそんな生物が存在していたのだ。
カリメロ
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2008年03月25日
「優勝の朝青龍を評価=態度などに批判も−大相撲横審」なる記事をヤフーニュースで見かけた。読んでみると、委員長が朝青龍の精神力や気迫を褒めてやらなければいけないと言ったのに対して、ある委員は反省の色が見られないと批判。

 どうせ内館牧子なんだろと思ったら、やっぱり内館牧子。
「内館委員が品格にダメ出し!朝青龍Vも『全国民が納得してない』」

 朝青龍が嫌いなのはわかる。好き嫌いは誰にだってある。でも仮にも横綱審議委員のひとりである以上、そこらへんのおばちゃんと同じように個人的な感情に任せて批判されたのでは困る。
 それにしても「全国民が納得してない」とはひどい。「委員の評価がまっぷたつに分かれる異例の会合となった。」と記事にあるんだけどなぁ。内館氏は「同調しない奴は非国民!」って言いたいんだな、きっと。
 一応、国技という扱いの大相撲。その最高位に関して口出しできる横綱審議委員。ボクらは日本国民として横綱審議委員を審議する権利を有しているのではないだろうか。横綱審議委員審議委員会の発足が待たれる。
 そもそも他者の品格を問う者は己が品格のある言動をすべきなのではないだろうか。それが日本の文化であり伝統であるはずだ。内館氏を他山の石にしたい。


蟹とキムチのクリームスパゲティ さて話は変わって、昨日、両親は旅行へ、妹は友人と外食、友達のいないボクは寂しく自炊。蟹とキムチのクリームスパゲティ。
 牛乳(生クリームがなかったため)にコンソメをいれて煮詰め、蟹の缶詰とキムチを放り込んで、茹であがった麺と和えて、火を止め、マヨネーズを少し入れて調味。ネギを散らす予定だったけれど、冷蔵庫になかったので乾燥パセリを散らしておいた。
 思いつきで作った割に味は上々。ピンボケは仕様。
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2008年03月24日
 私が誰であるのかなどどうでもいいではないか。大切なのは誰が言っているかではなく、何を言っているかなのだから。わかるかね? ワトソンくん。なに? 君はワトソンではない? それはすまない。だが名前なんてなんだっていいと思わないかね? 大事なのは君の名前ではなくて、君が何を思い、何を考え、何を行う人であるのかということだ。名前なんてさほど重要ではない。むしろなくたっていい。そうしたらロミオとジュリエットも死ぬことはなかったんだ。キャピュレット、モンタギュー。馬鹿馬鹿しい。
 さて……君はこれからなんと名乗るつもりだ? ワトソンくん。


 昔のブログにこんなのがあったんだけど、ジャンルはなんだ?(´・д・`) 小説ではないよねぇ。まぁいいや。「らくがき」ってちょうどいいカテゴリもあるし。
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